【第18弾】Eid Mubarak!!

お久しぶりです。岡本です。

唐突ですが、私はアラブ首長国連邦はドバイに留学に来ております。

ちょうどこちらではイスラム暦の旧正月、いわゆるラマダンが終わり、冒頭の“Eid  Mubarak“という挨拶をあちこちで耳にします。

「ラマダンの一ヶ月間、イスラム教徒は日中の飲食を断つ」このような話は誰しも聞いたことがあるでしょう。

私も聞いたことはありましたが、現地に来るまでかなり疑心暗鬼でした。ほんとうにそんなことは可能なのか??と。

実際のところ、イスラム教徒と十巴一絡げにするのは誤りなのでしょう。ほんとうにさまざまな人がいます。

唾すらも飲み込まないという厳格な信徒もいたり、隠れて食べまくる不信心者もいたり笑

しかも、忘れられがちですが、ラマダンとは本来イスラム暦の旧正月。要するに祝日の期間なんです。

日本では断食の過酷な印象ばかり先行していますが、イスラム圏で暮らしている実感としては、長い長い祝日という感じです。

私もムスリムの友人に誘われて1日だけ断食してみたのですが、まぁまぁきつい。

食べること以外はなんでもできるので退屈はしないのですが、加えて水も断つとなると酷暑の中で通常の生活を送るのは困難を極めるでしょう。

もちろん、(実態はともかく)日中は誰も飲食をしない建前なので、個々人のみならず、社会経済活動も遅滞を余儀なくされます。

利潤追求のための経済的合理性を蔑ろにし、このような宗教的価値観を優先させるというのは、日本では考えられないことでしょう。

しかし、世界有数の国際金融都市であるドバイでさえ、その建前は、単なる建前以上に墨守されているように見えます。驚くべきことでした。

ところで、何事も知識として頭で知ることと、体で感じられることとには雲泥の差があります。

多くの場合、知識は身体性を捨象してしまうのです。

特に受験勉強においてはそうです。

生徒たちは、身体的実感をなんら伴わないままに、大量の知識を頭に詰め込むことになります。

私の場合、世界史の参考書で覚えた“ラマダン“はその知識のうちの一つでした。本来、受験が終われば何も役に立たなかったはずです。

しかし、年を経るごとに知るのは、知識を得ることは目的なのではなく、手段なのだということです。

ラマダンについて単語だけでも知っていたことが、私に周囲のイスラム教徒の人々との共通の話題を作り、イスラーム社会について少しでも考えるきっかけを与えてくれた上に、今こうして記事のネタにもなっているわけです。

しかし、どうしてもそんなことが見通せないのが中高生時代というもの。

苦苦として勉学に励み、大学合格という(今思えば)無味乾燥とした目標に向かって驀進し続けるのです。

受験勉強によってえられた知識が身体的実感を伴って役に立つような体験。こんな体験があればどんなに素晴らしいことか。そう思います。

しかし、実際にこのようなカリキュラムを教育の現場に上手に導入するにはいかなる形がふさわしいのかとなると、現状の教育制度ではなかなか難しいようにも思われます。

もし、このようなことを時折思案することも、びよーんどの活動にカウントしてもらえるのなら、留学中の私も胸を張って一員を名乗ってもいいのかも知れませんね笑

では、またいつか!さようなら!

びよーんど

2023年設立の当団体は、某公立中学校の教育活動の支援を目的として設立された学生団体です。「従来の教育に学生であることの強みを掛け合わせて生徒とメンバーがともに成長する」を目標とし、早大生を中心に15名(2024年12月現在)のメンバーが所属して活動しています。

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