ABOUT US

2023年設立の当団体は、某公立中学校の教育活動の支援を目的として設立された学生団体です。「学生であることの強みを活かした、従来の学校教育の枠組みを超えた教育活動を通して、生徒とメンバーが共に成長する」をビジョンとして掲げ、早大生を中心に15名(2024年12月現在)のメンバーが所属して活動しています。

VISION

学生であることの強みを活かした、従来の学校教育の枠組みを超えた教育活動を通して、生徒とメンバーが共に成長する

私たちは活動を開始するに際して、ビジョンを策定しました。「ただの学生、なんなら教職課程を履修してすらいない人が多い中、やれることはなんだろうか」「従来の学校教育の問題点はなんだろう」「どうすれば活動を継続するモチベーションをメンバーみんなが持てるだろうか」…。議論を行い、私たちの活動が目指すべき方向性を確認、共有しました。びよーんどでは、この目標に則したことであれば、基本的になんでもできます。メンバーみんなが意見を出し合い、アイデアを企画、実施することができます。まだまだ駆け出しの団体、制度設計が不十分なことも多いですが、みんなで活動していく中で団体を創り上げる実感は何にも代えがたいものです。


活動内容

学習サポート

質問対応や、自習時の見守りに加えともに授業に参加する事も

放課後補習教室

不登校児童だけでなく全生徒を対象に定期試験前の補習教室の開催

定例会議

月に1回程度所属するメンバーが集い、定例会議を行います


代表挨拶

代表の三井大輝です。ホームページをご覧いただき、ありがとうございます。

現在、日本の教育は変革期にあります。急速なグローバリゼーションに伴った、デジタル化、新たな価値観の流入……人口減少が続く日本で国際的な競争力を担保するためには、人材の育成に力を入れなければなりません。

しかし、それには大きな壁があります。市民や行政などからの理解を得ることが難しいこと、改修などの財源を確保することが難しいこと、正解が極めて不明瞭であること。

そこで、力を持つのが民間であると確信しています。民間だからこそできる、ひとりひとりの生徒の目線にあった指導やコミュニケーションを通し「学生であることの強みを活かした従来の学校教育の枠組みを超えた教育活動を通して生徒とメンバーが共に成長する」を実現するため、2023年10月「びよーんど」を立ち上げました。

皆様の多大なご理解とご協力を賜り、今後とも活動を続けてまいります。よろしくお願いいたします。

三井大輝

~プロフィール~

2003年生まれ、21歳。高校時代をカナダで過ごし、貧困家庭の中学生を支援する団体「なかの国際学院」の設立及び代表を経て、現在は早稲田大学政治経済学部政治学科に在学中。同学部にて机上で政治理論を学ぶだけでなく、大学1年より早稲田大学鵬志会に所属して国会議員インターンをしており、社会課題が実際にどのように解決されていくのかを現場でも学んでいる。同会にて、第37代渉外局長、第38代副幹事長を歴任。また、教育分野においては、小学生時代の不登校や高校中退の経験、高校時代のボランティア団体設立経験を活かし、大学2年次に都内教育活動支援のための団体「びよーんど」を立ち上げ、代表を務める。地方創生分野においては、静岡県南伊豆町にて自ら発案した関係人口増加のための政策「田舎留学プロジェクト」事務局長を務めている他、福島県大熊町、愛媛県今治市の地域住民との交流や政策立案を通し、土着的な産業やコミュニティの重要性をミクロに学んでいる。ほか、ボランティアサークル「思惟の森の会」、野球サークル「アップセッターズ」、「特定非営利活動法人JYMA日本青年遺骨収集団」、「早稲田大学キャンパスツアーガイド」、「WASEDA STUDENT AMBASSADOR」など、さまざまなコミュニティに所属し、活動している。(2024.10現在)

~メディア出演~

朝日新聞出版「AERA」、セミナー「無料塾に、今できること」、中野区社会福祉協議会「そよかぜ」、INTERFM「CLUBCEO」、稲門祭2024特別企画「早稲田 DE 教育 早稲田 DE 環境 -現役学生と一緒に日本の未来を考えよう-」、ほか多数

BLOG

初めまして!!!前回の高村さんに引き続き新たに加入した教育学部の馬場健徳です。

ブログを書いている同期、先輩方のクオリテイが高すぎて恐々としていますが、頑張って書きたいと思います!

少しだけ自分のことについて語らせていただけたらと思います。

大学では初等教育学を専攻していて、教育思想や、小学校で学ぶ国語、数学、英語...などについて学んでいます!

特に、図工の授業がとっっっても楽しいです!!!図工や美術は小学校、中学校と写実的でなければ評価されない風潮があって、万年美術の成績が3の自分としては、ものすごーーくつまらなかったけど、大学でさまざまな形の芸術があることを知り、自分の思うがままに表現することが今は楽しいです!!!

さて、本題の今年の夏の目標について語らせていただきます!!

それは、、

好奇心の赴くままにいろいろな場所に行くことです!

とてもぼんやりしてますね笑

具体的に言うと、初めての聖地巡礼をしてみたいと思っています!

たとえば、岸辺露伴は動かないで出てくる神奈川県の加持邸や、ひぐらしのなく頃にの白川郷、サマータイムレンダの和歌山県友ヶ島、あの花の西武秩父...などです!

皆さんも夏は一瞬なので、楽しみましょう!!!!

はじめまして!今年度から加入しました、早稲田大学一年の高村くるみです。

初投稿なので若干ドギマギしていますがミッションを遂行できるように頑張っていきます👊

その前に、初めましてなので自己紹介などなどをさせていただけたらと思います。

学部は教育学部に属しているのですが、専修の関係で社会学や政治学、経済学などを広く浅く学んでいます。趣味はおしゃべりで、話しかけてもらえたらすごい喜びます。暇を持て余すよりも忙しく生きていく方がが好きで、複数の団体に入ったら、イベントや締め切りのシーズンが被ってしまい、現状とてもてんやわんやしています✌️

話は変わりますが、私がびよーんどに入った理由は主に2つあります。1つ目は「勉強格差」に関して興味があったからです。私は私立の中高一貫校に通っていたため周囲には金銭的にも学力的なも恵まれた子がかなり多かったです。このことに関して私は特に深く考えずに過ごしていましたが、高校2年生の時英語の先生に授業中ふと「君たちのいる環境は、当たり前のものじゃなくてかなり恵まれたものなんだよ、そのことを忘れてはいけないよ」と言われた時に、はっとしました。そこから私は「教育格差」に関して少し興味を持ち始め、高校の友達と議論することもありました。大学生になり様々な子と出会いましたが、やはり恵まれた子が多く「教育格差」を強く感じるとともに、貧困の連鎖を断ち切る難しさを実感しました。

2つ目は母の言葉です。私が中学生の時、母が何気なく言った「貧困を脱する1番の方法は教育で、教育にはそのくらいの力がある」というこの言葉が私の心にずっと残っています。この言葉の解釈としては主に2つあると思います。まず1つ目は、いい学歴を得て、いい企業に入って、大金を稼ぐなど、自らの武器となるという意味での貧困からの脱出を達成するということ。そしてもう1つ、生きていく上で必要な知識を身につけ、理不尽や搾取から身を守るということです。例えば少し極端な例ですが、私たちは義務教育の中で基本的な計算を学びますが、もしそれを学ばなければ買い物の際ぼったくられたとしてもそれに反論するどころか気づくことすらできず、搾取され続けてしまいます。教育はこのような理不尽や搾取から身を守る盾となる意味もあると思います。教育は、矛と盾のような二つの側面を持ち、貧困からの脱却を達成する効果が最もあるもののうちの一つであることは間違い無いです。

教育とは、全ての基本であり、我々の武器にも盾にもなり得る大切なものです。また、塾や寺子屋のようなものは情報を得られた一部の人がたどり着ける場所とは違い、学校で教育を受ける権利は全ての人に平等に与えられるものです。学校教育というものがより子供達に寄り添ったものになれば、より未来は明るくなるのでは無いかと思い、私は中学校という従来の教育の場で、教育に携わる『びよーんど』に参加することを決めました。


さて、長々とお話ししましたが、本題の「今年の夏の目標」についてお話しします!それは、、、、「中国語」と「英語」を軽く話せるようになることです!私は海外経験がなく、ゴリゴリの純ジャパで話せる言語は日本語しかありません。今まではそのことに関して特に何も考えていなかったのですが、早稲田大学に入った途端日本語以外の言語を聞く機会が多く、とてもカルチャーショック?を感じました。ですがそれとともに、英語と中国語を喋れれば友達がもっと増えるのでは無いかと少し安直なことを考えたわけです。ということで!!夏休み中はこの2言語を日常会話程度まで話せるように頑張っていこうと思います!そして何より、大学生の夏休みといえども有限のものであるということを忘れずに、1日1日を大切にしていこうと思います!

皆さんも何かしら目標を立てて、有意義な夏にしていきましょう!!


皆さんこんにちは!今回ブログを書くのは4年の吉村です🎀

最近暑くなってきましたね〜、なんだか夏が近づいている感じがしてワクワクしています🏝️

今年の夏はたくさん海に行くことが目標です^_−☆

そんなことはさておき、今回のテーマは「大学生活で得たこと」です。

気づけばあっという間に4年生!大学生活もいよいよ終盤。

振り返ってみると、単なる“勉強の場”ではなく、“人生の土台をつくる時間”だったなと感じます。

高校までのように決められたレールの上を歩くのではなく、自分で選び、考え、動くことの連続。それが大学生活でした。

大学に入るまで私は「なんとなく」で生きてきて、自分というより周りの人に色々な選択を委ねていた気がします。

でも大学生になり、今までに出会ったことのない人にたくさん出会い、変わった経歴を持つ人と関われたことで刺激を受けました。

人生のおいて自分で選択をして、その選択に責任を持つことで人間は成長していくんだなと感じました。

大学生活でしてきた選択はたくさんありました。

なんのバイトをするか、サークルはどうするか、留学に行くか、就職先はどうするかなどなど、、、

他にも日々、選択をして生きてきたと思います。

もちろん全ての選択が100点満点だったわけでなく、もちろん失敗することもありました。

ただしっかりと自分で考えて選択をした場合、失敗することはあっても間違ってたと後悔することはなかったです。

ただ次からはこうしよう、この選択をしたから学べることがあった、と思えるんです。

それはその時にしっかりと考えを持って選択してきたからだと思います。

選択を人任せにしてしまうと「もしこうしていたら」と延々と考えてしまうんです。

それからもう一つ大切なことを伝えておきます。

就職など人生において大きな選択をする時に私はついその選択が人生の全てであるかのように感じてしまって考えすぎて行動できなくなってしまうことがあります。

そんな時にイギリス人の友人が送ってくれた言葉です。

”Just remember that sometimes if you don’t know what to do you can try something and if you don’t like it change it later!”

いつでも変えることはできるんだと言うことを頭に入れて重くは考えすぎずに、自分で選択して生きていきましょう!

ということで大学生活で得たことを一言でまとめるなら、「自分で選び、自分でつくる」という生き方の練習だったのだと思います。

みなさんも自分の人生はセルフカスタマイズしていきましょー💪✨

お久しぶりです。大学四年生になってしまいました、黒田です。

皆さんは、新生活どうお過ごしでしょうか。学年が上がった方もいれば、新たな学生生活の始まりの方もいるかと思います。(もしかしたら社会人の人もいるかも)

さて、今回は「新入生に伝えたいこと」というテーマで書いていこうと思います。

とくにこれといった特徴がない人間ですが、色々考えてみました。今回は一つ伝えようと思います。

それはいろんな経験してほしいということです。

部活に入れないことが決まってから、いろんな経験をしました。サークル入りまくったり、インターンやったり、スラム行ったり、外部からの参加が100人中1人しかいないようなプロジェクトに参加したり、、、

今就活をしていて、人生を振り返ることが多々あります。そこで思うのは、人間って経験しないと本質的に学ぶことって難しいんだなということでした。

中学校とか高校で、大人からこれをやっとけと言われても、結局それを覚えてやり続ける人がほとんどいないように。(それは僕の意志が弱いだけかもしれませんが、、、)それが必要な場面に直面したとき、あの時言ってたのって…ってなるわけです。戦争とか歴史が繰り返す理由がよくわかります。

世の中にはこんな話があります。

「希望を持つ人が1万人いても、挑戦する人はそのうちたった1%の100人。そして、100人の挑戦者のうち、継続できる人はたった1%のひとりである。」

最後の1%すごすぎんだろって思うんですけど、

でも一方で、この1万人に1%の人も同じように、一度継続しなかった後悔や経験をしているから、できている・できるようになっていると思うんです。

新入生の皆さん、たくさんいろんなことを経験してください。あなたにはその時間と体力があります。そうすれば少しずつ世界が広がっていくはず…



………ただ…




この話・伝えたいことも、実際に自分が「経験しないと人って学べないわ…」っていう経験しないとわかりません!!!残念ながらこの後悔は生まれません!!!!!!

なので、みなさん、日々精いっぱい生きてください!生きてれば何とかなります!そして自分にしか作り出せない人生を歩んでください!

こんにちは、お久しぶりです。長谷川京香です。
この春から、無事に大学2年生になりました。
そして昨日、4月17日で、ついに20歳を迎えました。
自分がこの世に生まれてから20年。
あっという間だったような、まだ20年しか経っていないような、なんだか不思議な気持ちです。


憧れていた「20歳」

私はつい最近まで、
「早く20歳になりたい」「早く大人になりたい」
そんなふうに思いながら過ごしてきました。
でも、実際に20歳になってみると、
昨日と何も変わらない日常が続いているだけ。
期待していたような「劇的な変化」はなく、
むしろ、自分の精神的な未熟さを痛感する場面が増えた気がします。

年齢という数字は、ときに自分を奮い立たせる“鞭”にもなるけれど、
同時に、過ぎていく時間の速さに、自分が追いつけていないことを思い知らされるものでもあるのだと実感しています。


私という人間を形作ってきたもの

この20年間で、私は本当にたくさんの出会いと別れを経験してきました。
転勤族の家庭に育ち、これまでに5回の転校を経験。
そのたびに新しい環境に馴染むのに苦労しながらも、
「どう自分を変えていくか」を考え、少しずつ成長してきた気がします。


中でも記憶に残っているのは、小学校2年生から中学1年生までを過ごした兵庫県での時間です。
わずか1学期間だけ通った公立中学校では、学校の空気が合わず、しばしば学校を休みがちに。
「死ね」「殺すぞ」といった言葉がノリとして受け入れられ、それが日常的に飛び交う教室。
厳しい校則、先生に見張られているような感覚。
そして、誰が上で誰が下かを無意識に測り合うカースト的な雰囲気。
教室にいるだけで、心がすり減っていくような感覚がありました。


そんな中、父の転勤でフランスのインターナショナルスクールへ。
文化も国籍も異なるクラスメイトたちとの出会い。
3ヶ国語を話す同級生に刺激を受けて語学に興味を持ち、
また、地域の方々と一緒に、路上生活者へ生活必需品を届ける活動に参加したことが、
初めての「ボランティア活動」との出会いでした。


その後、日本に戻り、東京の国立高校に編入。
多様な分野で活躍する仲間に囲まれながら、
子ども食堂、フードバンク、選挙ボランティアなど、
さまざまな活動に挑戦してきました。
どれも、今の自分を形作るうえで、大切な経験です。


「自分が変われば、環境も変わる」

もちろん、どんな場所にいても、人間関係の悩みはついてきました。
友達同士のトラブルに巻き込まれたり、
自分の居場所について悩むような時期も経験しました。
でも、そんな経験を通して気づいたのは、
「自分が変われば、環境も変わる」ということ。


母からはよく、
「自分の一番身近にいる5人は、自分を映す鏡だよ」
と言われて育ちました。
人間関係に悩んだときは、いつもこの言葉を思い出します。
苦手な人に出会ったとき、うまくいかない関係の中にいるときこそ、
「もしかしたら、私の中にもそういう一面があるのかもしれない」
と、自分自身の言動を振り返るようにしています。
もちろん、それは簡単なことではありません。
でも、「類は友を呼ぶ」という言葉の通り、
今の人間関係は、自分の波長が引き寄せたものだとすれば、
自分が変わらなければ、何も変わらない。
逆に、自分が変われば、自然と周囲も変わっていく。
だからこそ、どんな環境でも、
まずは自分自身と向き合い続けたいと思っています。


「自分を偽らないこと」が、幸せの第一歩

大学に入ってからは、
「本当にやってみたかったこと」を、
「恥ずかしがらずにやってみる」ことを意識してきました。
その結果、心から尊敬できる先生・先輩・仲間と出会うことができ、
同じ興味や価値観を持つ人たちに囲まれている今を、
とても幸せに感じています。
ある人がかけてくれた言葉があります。
「自己開示は、結果、自分を守ることにつながる」
自分を偽らず、「好き」を隠さず表に出す。
そうすることで、それを受け入れてくれる人たちが自然と集まり、
その人たちといる場所こそが、私にとっての「心地よい居場所」なんだと、
最近は強く思うようになりました。


最後に

正直に言えば、今の私に大きな自信があるわけではありません。
きっとこれからも、迷ったり、傷ついたり、悩んだりしながら歩いていくと思います。
でも、20歳という節目を迎えたいま、
これまでの経験を少し振り返ってみることで、
「がんばってきた」と胸を張れるほどのことはしていないかもしれないけど、
それでも、ここまでの時間をちゃんと生きてきたんだな、って思います。
これから先の10年、20年も、
出会いに感謝しながら、
自分の心の声に正直に、しなやかに歩んでいきたいです。

お久しぶりです。岡本です。

唐突ですが、私はアラブ首長国連邦はドバイに留学に来ております。

ちょうどこちらではイスラム暦の旧正月、いわゆるラマダンが終わり、冒頭の“Eid  Mubarak“という挨拶をあちこちで耳にします。

「ラマダンの一ヶ月間、イスラム教徒は日中の飲食を断つ」このような話は誰しも聞いたことがあるでしょう。

私も聞いたことはありましたが、現地に来るまでかなり疑心暗鬼でした。ほんとうにそんなことは可能なのか??と。

実際のところ、イスラム教徒と十巴一絡げにするのは誤りなのでしょう。ほんとうにさまざまな人がいます。

唾すらも飲み込まないという厳格な信徒もいたり、隠れて食べまくる不信心者もいたり笑

しかも、忘れられがちですが、ラマダンとは本来イスラム暦の旧正月。要するに祝日の期間なんです。

日本では断食の過酷な印象ばかり先行していますが、イスラム圏で暮らしている実感としては、長い長い祝日という感じです。

私もムスリムの友人に誘われて1日だけ断食してみたのですが、まぁまぁきつい。

食べること以外はなんでもできるので退屈はしないのですが、加えて水も断つとなると酷暑の中で通常の生活を送るのは困難を極めるでしょう。

もちろん、(実態はともかく)日中は誰も飲食をしない建前なので、個々人のみならず、社会経済活動も遅滞を余儀なくされます。

利潤追求のための経済的合理性を蔑ろにし、このような宗教的価値観を優先させるというのは、日本では考えられないことでしょう。

しかし、世界有数の国際金融都市であるドバイでさえ、その建前は、単なる建前以上に墨守されているように見えます。驚くべきことでした。

ところで、何事も知識として頭で知ることと、体で感じられることとには雲泥の差があります。

多くの場合、知識は身体性を捨象してしまうのです。

特に受験勉強においてはそうです。

生徒たちは、身体的実感をなんら伴わないままに、大量の知識を頭に詰め込むことになります。

私の場合、世界史の参考書で覚えた“ラマダン“はその知識のうちの一つでした。本来、受験が終われば何も役に立たなかったはずです。

しかし、年を経るごとに知るのは、知識を得ることは目的なのではなく、手段なのだということです。

ラマダンについて単語だけでも知っていたことが、私に周囲のイスラム教徒の人々との共通の話題を作り、イスラーム社会について少しでも考えるきっかけを与えてくれた上に、今こうして記事のネタにもなっているわけです。

しかし、どうしてもそんなことが見通せないのが中高生時代というもの。

苦苦として勉学に励み、大学合格という(今思えば)無味乾燥とした目標に向かって驀進し続けるのです。

受験勉強によってえられた知識が身体的実感を伴って役に立つような体験。こんな体験があればどんなに素晴らしいことか。そう思います。

しかし、実際にこのようなカリキュラムを教育の現場に上手に導入するにはいかなる形がふさわしいのかとなると、現状の教育制度ではなかなか難しいようにも思われます。

もし、このようなことを時折思案することも、びよーんどの活動にカウントしてもらえるのなら、留学中の私も胸を張って一員を名乗ってもいいのかも知れませんね笑

では、またいつか!さようなら!

ようやく暖かくなり始めて、桜が咲く季節になりましたね!🌸

私花とか大好きで、見るだけで幸せにしてくれるからすごいなって思うんですよね〜

この季節の花って言えば皆さんの頭に真っ先に浮かぶのは桜だと思うんですけど、私的には桜よりも菜の花の香りがした時に一番春を感じます(^_^)

菜の花の香りって少し独特で人によっては嫌いかもしれないんですけど私はあの香りを嗅ぐと、あぁ春だなって感じると同時に地元の風景が思い浮かびます😄

私の実家は茶畑に囲まれていて、小学校までの一本道は春になると菜の花で真っ黄色に染まります。よく下校中に花を摘んで帰っていたのを思い出します。

ということで今回のブログでは鹿児島出身の吉村が上京してから感じたことを書きたいと思います!!

ちょうど3年前の今日、早稲田への進学が決まり、今住んでいる東京の家に入居したのを覚えています。ワクワクと同時になんだか実感が湧かなくて、地に足がついていない感覚でした。

それからあっという間に時間は過ぎてもう4年生になりますが、今でもやっぱり東京はすごいなと思います笑

なんといってもチャンスに溢れていることが最大の魅力だなと私は3年住んで思いました。何かやりたいことが思い浮かんだ時、それに挑戦できる環境が圧倒的に整っていると感じています。それをモノにできるかは自分次第ではありますが、、、

もちろん実家に戻りたくなることもありますが、20代という若い内にこのチャンスと多様性で溢れた街で色んな経験を積む選択をしてよかったと心から思っています。

これから上京してくる新一年生や新社会人の方々、今まで出会ったこともないようなタイプの人にたくさん出会ったり、見たことのない知らない世界を覗くことになったり、ときにはキャパオーバーになることもあるかもしれません。でもそんな瞬間も、自分の中で何かしらの新しい知見は増えていき、人間としての深みが増すと私は信じているのでお互い頑張りましょう😌

なんかメッセージみたいなことを書いてしまいましたが、ここら辺で終わりにしようと思います。

今年で4年目になる東京生活!様々な機会に感謝しながら日々頑張るぞ〜!!



代表の三井です。春はさみしい季節です。

教育に携わり、25年度でなんと8年目を迎えることになりました。7回卒業生を送り出しています。毎年この季節になると「あの代が卒業して◯年かあ」と、思い出します。教育、しかも団体の代表というのは大変なことが7割だし、所詮はボランティアでいつでも辞められる環境下ではありますが、それでも続けるのは、生徒の成長に大きなやりがいを感じるからです。

私たちが活動場所とする某中学校では、卒業式「第二部」が行われました。通常の「第一部」には出席することができない、投稿のハードルが高い子どもたちのための小さな式です。体育館ではなく、小さな教室で、来賓も仲間もなく、教職員と保護者と数人の生徒のみで行われました。正直、素人目に見てもいくつかの問題を感じる学校ですが、こうした素敵な式を開催することができるという点において、素晴らしいと感じます。

ある生徒のお母さんは「先生(私)のおかげでこの子は学校へ通えました」と。ある別の生徒は、普段は寡黙で自分から喋りかけてくれるなんてことはないのですが、式典後に私を探し出してきたようで「先生(私)、ありがとうございました。高校でもがんばります」と。正直、私は彼らのテストの成績が上がるよりも、こういう言葉から彼らの人間的な成長を感じ、やりがいを感じるのです。この学校でははじめての卒業式出席でしたが、ここでやってきてよかったと思える日でした。

さて、彼らはこれから高校、大学と進学したり、社会に出て就労したりと、義務教育である中学までとはまったく異なる環境下に進むことになります。彼らの人生に対し、先生も保護者も私も誰も責任をとることができない状況へと変化します。レールのない道を自らの力で進まねばいけません。もしかしたら彼らには身体的、精神的にハンディキャップがあったり、バックグラウンドにコンプレックスがあったり、学力に不安があったり、レールのない道を進むには自信がないかもしれません。

それはかつての私も同じでした。不登校や高校中退を経験して、レールがあったときでさえ大変だったのにこれからどう生きていけばいいのか、と。

しかし、これからは学校という場所以外、もっと大きな世界に飛び出し、仲間を得ることができます。歳を重ねれば、仕事ができるようになったり、ひとりで行動できるようになったりします。その中でいろんな人と出会うとき、もし彼らが優しい人であれば、優しい仲間ができるはずです。このことを「類は友を呼ぶ」といいます。友はさらなる出会いや気づきをくれたり、困ったときに助けてくれたりします。

だから、テストの成績とか経済力とかじゃなく、仲間を大切にできる人になってほしいと思います。きっとそれはどんなハンディキャップやコンプレックスも打ち消すような、何にも代え難い大きな力になるはずです。

卒業おめでとう。みんな元気で、また会いましょう。

卒業って、いろんな感情が入り混じるものだと思う。ずっと一緒にいた仲間と離れるのは寂しいけど、それが新たな出会いの始まりだったりもする。

でも、卒業の意味って、それだけじゃない。時間が経てば、自然と会わなくなる人がいる。

それは寂しいことなのか? それとも、お互いがそれぞれの道を進んでいる証拠なのか?

で、そんなことを考えてたわけじゃないんだけど、先日、久しぶりにこの団体のミーティングに出た。

いや、正直いうと、いつもの調子乗った発言をかましまくってしまったんですが。電話で話すのも久々だったんだけど、やっぱり自分を知ってくれてる人がいるっていいなと思った。

というわけで今回のテーマは少し冒頭で触れました「卒業」です。


僕は基本的に卒業したら次の場所へ進むタイプだ。ミニバス、中学バスケ、高校バスケ、サークル、どれも終わったらあまり振り返らない。

もちろん、たまに顔を出すことはある。でも、そこに「居続ける」ことはしない。居心地がよくなりすぎるのが怖いから。

人は、自分を肯定してくれる場所にいたくなるし、過去の実績がある場所では楽に生きられる。

でも、僕はそういう環境で成長したことが一度もない。だからこそ、新しい場所へ進む。それが自分のスタンス。でも、だからといって、それが正しいとも思っていない。

バスケを始めたのは、小3のときだった。最初の頃はとにかく必死だった。それでも、気づいたら周りよりも早く試合に出るようになっていた。4年生や5年生を飛び越えて試合に出たことで、当然、周りからはいろいろ言われた。

「なんで3年生が出てるんだ」「アイツは調子に乗ってる」。ちょっとミスすればコーチにブチ切れられ、上級生の親たちからも陰で文句を言われた。スポーツの世界に、子どもながらに人間社会の縮図を見た。

それでも、やめなかった。バスケはチームスポーツ。チームが勝つために何をすべきか、それだけを考えてプレーしていた。

僕は‘マルチプレーヤー’だった。

でも、それは単にいろんなポジションをこなせるという意味じゃない。

俺のプレーには「人を巻き込む力」があった。チームの流れを作る、仲間を活かす、試合を勝たせる。それが自分のスタイルだった。

中学に上がると、環境はガラッと変わった。中1で2年生を追い越して試合に出ても、誰も何も言わなかった。小学生の頃に経験したすべてが、ここで生きた。


高校でもバスケは続けた。

キャプテンとしてチームを引っ張って、試合に勝つために全力を尽くした。最後まで挑戦し続けたし、「居心地がよくなりすぎた」わけでもなかった。ただ、「やりきった」という感覚があったからこそ、自然と一区切りをつけることができた。

最近、インスタでミニバスのチームの投稿を見つけた。もう10年近く前に卒団したチームが、まだ続いてる。後輩たちが頑張ってる姿を見て、素直に嬉しかった。

でも同時に、「自分がまたそこに顔を出すこと」に対して、どこか曖昧な気持ちがあった。懐かしさもあるし、何か還元したい気持ちもある。でも、そこに戻ったとき、自分が「居心地のいい場所」に甘えてしまうんじゃないか、そんな不安もある。

それと、友達の話。小3のときにたまたまバスケに誘った親友がいる。

それまで運動なんてほとんどしてこなかったのに、僕の誘いに乗ってくれて、そこからバスケを始めた。

でも、高校に入る頃にはバスケを辞め、陸上に専念した。今は箱根を目指して走り続けてる。

そして留学することになったとき、彼はわざわざ練習の後に空港まで見送りに来てくれた。疲れているはずなのに、何も言わずに駆けつけてくれたあの姿を見たとき、心が震えた。

一緒に戦った時間も、これから違う道を進むことも、全部含めて「お互い頑張ろうな」っていうメッセージだったんだと思う。

卒業した後、会わなくなる人がいるのは当然のことだと思う。

進む道が違えば、環境が変わるのも当たり前で、それぞれの人生がある。

わざわざ関係を戻すべきなのか? それとも、そのまま自然に進むべきなのか?

考え方は人それぞれだけど、僕は会わなくなること自体が、ある意味で正しい未来なのかもしれないと思っている。

同じ環境に浸ることが必ずしも悪いわけじゃない。バスケに限らず、卒業した団体に戻ること自体が意味のある場合もある。その良さもわかる十二分に。でも、僕はどこかで「そこに居続けること」に疑問を感じるタイプだった。

どんな環境でも、自分が知っている人がいれば、それなりに評価されたり、実績が語られたりする。特に卒業した団体に戻ると、過去の功績や実績が自然とついてくる。

「橋本さん」「すごかった人」「悠也先輩」「橋本先輩」って人がよってきて、あたかも実際よりすごかったかのように見られることが増える。

それに慣れてしまうと、人は成長を止める。

過去の自分を維持することにフォーカスし始めてしまう。それが、僕には耐えられない。

そんなことを考えながら、残りの留学生活を走り抜こうと思う。

で、最後の方は全然まとまりのない話で、ボンボン思いついたことを書いたし、そもそもブログを書くのを忘れていたってこともあって、ちょっと出来が心配なんですけど……まあ、こんな感じで書けました。

大変迷惑をかけてしまい、最近恐縮しすぎていて、それそれ見えなくなりそうですが(そもそも留学しているので見えないところにいるんですが、はい)、気合いで頑張ります😊😊

以上、橋本悠也でした。次の投稿も楽しみだなー。それではまた。

みなさん、お久しぶりです!菱沼です。

今月のテーマは「卒業」ということで別れと出会いの季節ですね🌸

毎年、卒業式シーズンになると「虹」(作詞作曲:森山直太朗)という曲を思い出します🌈


" 僕らの出会いを 誰かが別れと呼んだ

雨上がりの坂道

僕らの別れを 誰かが出会いと呼んだ

時は過ぎいつか 

知らない街で 君のことを想っている" 


というサビを聞いた当時の私は、空にかかる「虹」があっという間に消えてしまうように青春時代も同じように一瞬である事を感じました。

先日、活動場所である某都立中学校の卒業式に参加してきました。会場の体育館は、緊張と希望が入り混じる、なんだか独特の空気に包まれていました。卒業証書を受け取る生徒の誇らしい姿やそれを見守る先生方の温かい眼差しを間近で感じる事ができた、本当に貴重な機会だったと思います。私自身も多感な時期に経験した卒業式を思い出し、胸が熱くなる思いでした。特に「大地讃頌」の卒業生たちの力強い歌声には思わず目頭が熱くなりました。

卒業式に参加して改めて感じたのは、「旅立ち」の持つ力強さです。新しい環境に向かう卒業生たちのエネルギーはまぶしく、私自身も初心を思い出しました。このような場面に立ち会えたことは、実際の教育現場で生徒と関わることができるこの活動ならではの経験だったと思います。日々中学生が成長する姿や羽ばたいていく姿を見ながら、私も新たな気持ちで今後の活動に取り組みたいと思います。

みなさん、お久しぶりです!楓です。


今回のテーマは「卒業」。学生ならではの話題ですね!


……とは言いつつ、正直、これといった卒業エピソードが思い浮かばなくて(笑)でも、ずっと感じていたことがひとつあります。


自分の卒業式より、仲の良い先輩の卒業式のほうが寂しくないですか?

私だけだったらすみません(笑)


小学校の記憶は曖昧ですが、中学・高校では仲の良い先輩が卒業してしまうとき、めちゃくちゃ寂しくて「行かないで〜!😭」と泣いていたのを覚えています。卒業って本来お祝いの場なのに、どこか寂しさがつきまとうのが不思議ですよね。今思えば、先輩との別れだけじゃなく、「次は自分が最高学年で受験が待っている…!」みたいな不安もあったのかもしれません(笑)


でも不思議なことに、自分の卒業式ではそこまで泣いた記憶がないんです。高校を卒業したら地元を出て、新しい世界に飛び込みたい気持ちが強かったからかもしれません。これからどんな人と出会って、どんな景色が見られるんだろう?そんなワクワクのほうが勝っていました。

……その後、上京して一人暮らしを始めたら、しっかりホームシックで泣いたんですけどね(笑)


卒業って、終わりでもあり、始まりでもある。ベタですが、本当にその通りだなと思います。


そして気づけば、私の大学卒業も来年に迫っています。でも、まったく実感がない(笑)自分のことなのにどこか他人事のような感覚です。あの頃と同じように、新しい未来にワクワクする気持ちもありますが、1年後の自分が全然想像できなくて……。でも、それもまた楽しみのひとつなのかもしれません。これからの自分にちょっと期待してみようと思います。


みなさんにとっての「卒業」はどんなものでしたか?

新メンバーの石黒です。どうぞよろしくお願いします。

ブログ投稿にあたって「いま頑張っていること」というお題をもらいました。私が最近頑張っているのは、料理です。

大学入学を機に一人暮らしを始めて早くも2年が経とうとしています。ずっと自炊をしていて料理が苦手というわけではありませんが、とにかく手際が悪いのが悩みです。今度の帰省では長めに滞在することになるので、「その間料理を担当して」と家族に言われました。家族の分も、となると私の気分で外食するわけにもいかず、栄養面にも気を遣わないといけません(一人暮らしだと品数が少なくなりがち)。家族にはおいしいものを食べてほしいので、今からレシピを保存したり気になったものを試しに作って練習したりしています。実家にいる間いつも美味しくて栄養のあるものを用意してくれていた家族に改めて感謝する日々です。

春になれば私と同じように一人暮らしを始める大学生がたくさんいることでしょう。びよーんどの新歓で新入生とお話しできる日が待ち遠しいです。

ご覧いただきありがとうございました!